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東京地方裁判所 昭和57年(ワ)14022号 判決

原告

山田昭

右訴訟代理人弁護士

村井正義

被告

社団法人総友会

右代表者理事

有田英世

右訴訟代理人弁護士

高井伸夫

西本恭彦

山崎和義

末啓一郎

小代順治

高下謹壱

主文

一  原告の請求を棄却する。

二  訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  原告と被告との間に雇用契約関係が存することを確認する。

2  被告は原告に対し、金五三二一万二五四五円及び内金二九〇万六〇〇五円に対する昭和五八年五月一日から支払済みまで、内金六二四万九八二八円に対する昭和五九年五月一日から支払済みまで、内金六六八万三七七九円に対する昭和六〇年五月一日から支払済みまで、内金六九四万六九三三円に対する昭和六一年五月一日から支払済みまで、内金七二六万一〇一一円に対する昭和六二年五月一日から支払済みまで、内金七六九万四三六五円に対する昭和六三年五月一日から支払済みまで内金八二二万八八〇六円に対する平成元年五月一日から支払済みまで、内金七二四万一八一八円に対する平成二年二月一日から支払済みまで各年五分の割合による金員を支払え。

3  被告は原告に対し、平成二年二月一日以降毎月二五日限り各四七万九五八八円を支払え。

4  訴訟費用は被告の負担とする。

5  仮執行の宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

主文と同旨

第二当事者の主張

一  原告の主張

1  被告は、わが国企業における総務部門のあり方とその向上発展のために寄与し、地域社会の向上発展に貢献することを目的とした社団法人であり、総務、人事、労務に関する研究連携機関として、研究会等の会合の開催、各種調査活動、資料の出版編集、資料・規定類の収集依頼と相談業務を行っている。

原告は、昭和三六年七月六日被告の前身である日本内部監査協会に雇用され、昭和四〇年一〇月被告が右協会から分離独立した際被告に移籍し、昭和四一年一月から業務部長、昭和四九年四月からは事務局次長の地位にあった。

2  被告は、昭和五七年一〇月七日、原告に対し就業規則五〇条一項四号所定の懲戒解雇(以下「本件解雇」ともいう)に付する旨の意思表示をなして、以後原告との雇用契約関係の存在を争っている。

3  原告には就業規則所定の懲戒該当事由は存せず、また、本件解雇は、原告が事務局次長として事務局長後には専務理事の森本武文に対してしばしば業務運営等の適正化のための進言を行ってきたところ、これを封ずるために原告を被告から放逐しようとして、森本によってなされた恣意的処分であり、解雇権の濫用であって、無効である。

4(一)  原告の給与額は、毎月一日から同月末日までの分を当月二五日に支払う定めであった。

(二)  原告は、別表(1)ないし(8)記載のとおり平成二年一月三一日までの給料差引支給額合計三五八〇一〇八五円、別表〈9〉記載のとおり賞与手取額合計一二七九万五七七七円、別表(10)記載のとおり財形給付金及び奨励支給金差引手取額合計四六一万五六八三円(以上合計五三二一万二五四五円、本件解雇に付された後の期間については他の従業員と同様昇給したものとして算定する)並びに平成二年二月一日以隆毎月二五日限り各四七万九五八八円の賃金請求権を有する。

5  よって、原告は、雇用契約関係の確認並びに被告に対し、給料差引支給額、賞与手取額、財形給付金及び奨励支給金差引手取額合計五三二一万二五四五円並びに内昭和五七年一〇月分残金ないし昭和五八年四月分の給料及び昭和五七年一二月下期賞与額合計二九〇万六〇〇五円に対する昭和五八年五月一日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金、内昭和五八年五月分ないし昭和五九年四月分の給料、昭和五八年六月上期同年下期各賞与、同年八月財形給付金及び奨励支給金合計六二四万九八二八円に対する昭和五九年五月一日から支払済みまで前同様の年五分の割合による遅延損害金、内昭和五九年五月分ないし昭和六〇年四月分の給料、昭和五九年六月上期同年一二月下期各賞与、同年八月財形給付金及び奨励支給金合計六六八万三七七九円に対する昭和六〇年五月一日から支払済みまで前同様の年五分の割合による遅延損害金、内昭和六〇年五月分ないし昭和六一年四月分の給料、昭和六〇年六月上期同年下期各賞与、同年八月財形給付金及び奨励支給金合計六九四万六九三三円に対する昭和六一年五月一日から支払済みまで前同様の年五分の割合による遅延損害金、内昭和六一年五月分ないし昭和六二年四月分の給料、昭和六一年六月上期同年一二月下期各賞与、同年八月財形給付金及び奨励支給金七二六万一〇一一円に対する昭和六二年五月一日から支払済みまで前同様の年五分の割合による遅延損害金、内昭和六二年五月分ないし昭和六三年四月分の給料、昭和六二年六月上期同年下期各賞与、同年八月財形給付金及び奨励支給金七六九万四三六五円に対する昭和六三年五月一日から支払済みまで前同様の年五分の割合による遅延損害金、内昭和六三年五月分ないし平成元年四月分の給料、昭和六三年六月上期同年下期各賞与、同年八月財形給付金及び奨励支給金八二二万八八〇六円に対する平成元年五月一日から支払済みまで前同様の年五分の割合による遅延損害金、内平成元年五月分ないし平成二年一月分の給料、平成元年六月上期同年一二月下期各賞与、同年八月財形給付金及び奨励支給金七二四万一八一八円に対する平成二年二月一日から支払済みまで前同様の年五分の割合による遅延損害金の各支払い、平成二年二月一日以降毎月二五日限り給料各金四七万九五八八円の支払いを求める。

二  原告の主張に対する認否

1  原告の主張1及び2はいずれも認める。

2  同3は争う。

3  同4(一)は認め、(二)は争う。

4  同5は争う。

三  被告の主張

1  被告は専務理事森本武文名義で、昭和五七年一〇月七日、原告に対し、懲戒解雇に付する旨意思表示した。

2  原告は、次のとおり被告事務局職員としてふさわしくない言動をくりかえしていた。

(一) 譴責処分

原告は、昭和五六年七月一〇日、被告理事会副会長大塚直治の送別会の席上で被告監事武田大に対し、森本を事務局長にしたことについて非難し、暴言をはき、また、二次会でも被告理事池田哲二を名指しで誹謗するという醜態を演じたため、同年一二月一〇日被告会長の三善信一から口頭で厳重注意を受けた。原告はその際、今後は上司と協力して行くことを誓ったにもかかわらず、その後これを翻し、右注意は不当であり、今後上司に協力しないと公言したので、被告は、昭和五七年一月一日付けをもって原告を譴責処分にした。

(二) 組織の紊乱と中傷

原告は、右譴責処分につき、会長は専務理事等の一方的意見をもって判断し処分したと被告の三善会長を批判し、理由がないのに不当な譴責処分を受けた、断固戦いたいので支援して欲しい旨機会あるごとに有力会員に訴えかけ、森本専務理事及び田中事務局長に対し激しい中傷をして、被告の組織を紊乱した。

また、専務理事名で作成する外部講師依頼状などを勝手に会長名義にしたりした。

(三) 経理上の不正、疑惑行為

原告は、昭和四四年一二月から昭和五五年七月まで一一年間も母親の扶養手当二六万七〇〇〇円を不正に取得していたが、右譴責処分後も講師との飲食代の不正請求、封筒書き代の水増し請求、出張時の交通費、タバコ代の水増し請求を行うなどの経理上の不正行為があった。

(四) 職員全員からの信用失墜

原告は、事務局次長として部下の範たる地位にあることが期待されながら、被告事務局職員の面前での態度言動を上司の在室の有無によって一変させ、上司の中傷等を公然と行うことを繰り返し、職員全員の信頼を失っていた。

(五) 被告の対外的名誉、信用の失墜

原告は、講師から入手した会員会社に関する機密情報を利用して、一部会員に飲食をねだったり、自ら誘いながら飲食の請求書を会員に送り付けるなどの行為を続け、相手方たる会員に不快感、嫌悪感を抱かさせ、被告事務局に苦情が寄せられることとなった。

(六) 業務に対する非協力

被告事務局の業務のうちには案内状を一回に三〇〇〇通ないし五〇〇〇通発送することがあり、その際には職員全員が協力して行うことになっていたが、原告は偽りの理由をつくっては休暇を取ったり、外出したりして、これに協力しなかった。

3  原告の右言動は、就業規則五〇条一項四号、五一条一、二、三、四、五、六、七、八、一一、一二、一三の各号に該当する。原告が在職していては、職員五名という小規模の職場である被告事務局の秩序が維持できなくなり、被告の業務に重大な支障が生ずるものである。

四  被告の主張に対する認否

1  被告の主張1は認める。

2  同2のうち、(一)は昭和五七年一月一日付けで譴責処分に付したことは認めるが、その余は否認する。(二)は否認する。外部講師依頼状を専務理事名で作成すると決まっていた訳ではない。(三)は、原告が昭和四四年一二月から昭和五五年七月まで北海道に居住する母親の扶養手当として二六万七〇〇〇円を受給していたことは認めるが、その余は否認する。右扶養手当は原告の兄から連絡がなかったため支給が重複していたものであるが、過誤による支給であることが確認され、決着がついているものである。(四)及び(五)は否認する。(六)は案内状の発送事務が一回に三〇〇〇通ないし五〇〇〇通に及ぶことは認めるが、その余は否認する。

3  同3は、就業規則五〇条、五一条が懲戒に関する規定であることは認めるが、その余はいずれも否認する。

第三証拠(略)

理由

一  被告が、わが国企業における総務部門のあり方とその向上発展のために寄与し、ひいては地域社会の向上発展に貢献することを目的とした社団法人であり、総務、人事、労務に関する研究連携機関として、研究会等の会合の開催、各種調査活動、資料の出版編集、資料・規定類の収集依頼と相談業務を行っていること、原告が、昭和三六年七月六日被告の前身である日本内部監査協会に雇用され、昭和四〇年一〇月被告が右協会から分離独立した際被告に移籍し、昭和四一年一月から業務部長に、昭和四九年四月からは事務局次長の地位にあったことは、当申者間に争いがない。

いずれも成立に争いのない(証拠略)によれば、被告の会員はいわゆる一部二部上場会社がその大半であり、昭和五八年には、延べ一一〇六社を会員としていたこと、また、被告の事務局は常務を処理する事務局長のほか四ないし五名の職員で構成されていたことが認められる。

二  被告が、昭和五七年一〇月七日、専務理事森本武文名義で、原告に対し、就業規則五〇条一項四号所定の懲戒解雇に付する旨の意思表示をなし、以後原告との雇用契約関係の存在を争っていることは当事者間に争いがない。

三  (証拠略)によれば、次の事実が認められる。

1  被告の事務局長兼専務理事であった今井は、死亡する約一か月前の昭和四九年二月半ばごろ被告監事の武田大を呼び、後任の事務局長として、多くの理事等が考えていた業務部長の原告ではなく、後輩に当たる企画部長の森本を推薦する意向であること、これを当時の被告会長であった村上正夫に伝えて欲しいと述べた。武田は今井の右意向を村上会長に伝え、村上会長は、理事会等に図ったうえ、同年四月一〇日、職員全員の前で森本を被告の事務局長兼専務理事取扱に指名する旨示達した。原告は、右示達の際、今井の後継者と自負していて、当然自分が次期事務局長になると思っていたので、森本事務局長指名に不満の態度を示し、村上会長に対し、森本はリーダーシップに欠ける、責任者としての能力もない、森本事務局長には自分は承服しかねる旨発言した。また、原告は、その翌日から無断欠勤して、その間村上会長を訪ね、自分にもなんらかの肩書が欲しい旨要求し、武田を訪ねては、事務局次長にしてもらえれば森本体制に協力しても良いと会長に伝えて欲しい旨述べたりしていた。村上会長は、被告事務局の以後の運営の円滑のため、同月、原告を事務局次長に昇任させた。

2  しかし、原告は、その後ことごとく森本事務局長に反発する態度を取ってきた。

原告は、職員の田中誠に、三年様子を見よう、お手並みを拝見しようと述べたり、昭和五三年ないし同五五年ころ、被告の一組織である人事懇話会の活性化を図るため、田中の発案した新しい企画として賃金体系等に関する特別定例部会が開催され、大勢の参加があった結果、人事懇話会の収入に大きく貢献したところ、田中に対し、なぜ余計なことをするのかと発言したりしたこともあった。

3  原告には、従前から金銭上の不正、疑惑行為が少なくなかった。

昭和四七年ころ、被告の人事懇話会で見学研修に行った帰りなどに、飲食店で原告と田中が食事をしたが、原告は当時後輩であった田中に右飲食代金を講師との打ち合わせ名目で被告に請求する手続きを取らせたりしたことが二、三度あった。

原告は、昭和四四年から、全く扶養していない母親につき扶養している旨申告し続け、昭和五五年になり被告が慎重に調査のうえこの事実を指摘したところ、扶養しているその兄のほうが嘘をついているのだといいはり、結局不正に受給していた手当を返還することもなかった。

原告は、昭和五五年四月一九日、七月二六日、一二月二三日、昭和五六年四月二五日、それぞれ熱海で開催された経営懇話会の帰途、小田原から小田急線で帰宅したにもかかわらず、熱海東京間の新幹線代を受領したことがあった。

4  原告は、今井が事務局長に在任中から、遅刻、早退、直行直帰を理由としてふしだらな勤務を続けていた。

原告は、今井がゴルフや宴会のあった翌日は遅く来ることを承知していて、今井に分からないように自分も遅刻をし、宴会のあった翌日は、会員会社に立ち寄ってから昼ころ出勤するということが多く、その中には会員会社に立ち寄っていないときもあった。そのため、森本は、会員会社に直行するときは前日に連絡すること、そうでないときは立ち寄る前に必ず被告事務所に集まることを職場の申し合わせ事項とした。

原告の右のような言動は、四ないし五名という小規模の被告事務局の職員一同の認識するところであり、その信頼を失っていった。

被告は、昭和五一年四月一日、就業規則を改定し、従前の規定が「正当な理由なしにみだりに欠勤または遅刻したとき」とされていたところ、遅刻を三回したら欠勤一日とするとし、また、専務理事の職務権限を成文化したが、これは、原告の勤務状況がルーズであったこと、原告がしばしば専務理事取扱の森本の行為を越権行為だといい続けていたことが、右改定の一因であった。なお、森本は、昭和五一年五月専務理事に就任した。

昭和五六年一月二〇日付けで田中が、事務局次長に昇任し、原告と並ぶことになったが、原告は、これにも不満であった。

5  昭和五六年七月一〇日、被告理事会副会長の大塚直治大林組専務取締役の送別会が催され、原告、武田など七名程度が出席していたことがあった。原告は、同宴席において武田に対し、(七年前に)森本を事務局長にしたことについて、今井の遺言を武田がどのようにでも会長に伝えられただろうにとか、このことは一生忘れないとか恨みごとをくどくどと繰り返し述べたため、武田から隣室に連れて行かれ、宴席にふさわしくないことを話さないように叱責されたが、原告は、この席で皆にも聞いてほしいなどと大声で述べたりした。また、同日二次会の席において、原告に対し右送別会での態度を注意した池田哲二理事について、役員にはなれない人だと悪口を述べたりした。

同年一二月一〇日、三善会長から原告に対し、右送別会の日の原告の言動に対し口頭で注意があり、被告事務局職員一同の前で「本来ならば辞めてもらうところであるが、今回は本人が反省しているので取りやめる。今度同様の言動に及んだ時は辞めてもらう」といわれ、後輩の田中を事務局長にする旨告げられた。これに対し原告は、気持ちを入れ換えて生まれ変わった気になって業務に邁進する旨誓約した。

ところが、同年一二月二八日、浜名湖の館山寺に行った被告の忘年会において、原告は、会長にいわれのない注意を受けた、この恨みは必ず返してやる。今後は会の運営に対して協力しない、徹底的に挑戦すると述べ、また、同旨の言動を被告の会員らに吹聴し、会員らの被告への信頼性を失わしめた。

昭和五七年一月、田中が事務局長に昇格した。原告は、二度にわたって後輩に追い越されたことになる。また、被告は、昭和五七年一月一八日、文書で原告を譴責処分に付した。しかしその後も、原告は、三善会長に対し独断専行であるとか、他の理事の意見を聞かないとか、森本専務理事のいいなりであるとか批判を繰り返していった。さらに、原告は、懇談会の席上などでくりかえし、森本を無能であるとか言ってまわるようにもなり、会員の事務局に対する不信感を強めた。

6  原告は、右譴責処分後、口をきかなくなり、電話がなっても受話器を取らない、新聞を広げて仕事をしない、無断で外出するといった態度が一層増した。

また、原告は、昭和五七年二月からは、研修会の段取り、講師の選定等について森本専務理事、田中事務局長、事務局次長の原告の事務局役職者三者で協議決定したことにつき、自分は聞いていないとか、自分はそういうつもりで言ったのではないとか、前言を翻したり、反対のための反対をすることが多くなり、昭和五七年度の事業計画案の策定においても同様の態度を取り続けた。そのため、森本は、同年四月からは、重要案件の協議には原告を参加させないようせざるを得なかった。

被告の事務局においては従前から外部講師依頼状は専務理事名で発送するのが習わしであったが、森本が事務局長に就任後、原告は、あえてこれを被告会長名で発送するということをして、専務理事名で出すように注意を受けてもこれを無視し続けていた。また、原告は、昭和五七年五月二七日に開かれた総会研究会の懇親会において事務局職員の市村陽次郎に何をやっているんだ、森本のいうことばかり聞くんじゃないと怒鳴ったりするなど、相変わらず森本専務理事を批判する言動をくりかえしていた。

原告は、昭和五七年春ころ、被告の会員会社へ夕刻になって情報を届けるとして立ち寄り面会を求め、相手方に夕食を誘わざるを得ない状況にしたり、行き付けの店を二次会として案内し、その伝票を会員会社に回し、相手を憤慨させたりしたことがあった。また、原告は、昭和五七年夏ころ、被告が講演等を依頼している古谷多津夫と新橋の飲食店で、食事を共にした際、古谷が自分で飲食代金を支払ったのに、一旦連れ立って食堂を出てから一人戻って、領収書を受領し、被告にその費用を自己負担として請求したりした。

被告の重要な事務の一つに会員あるいは非会員に案内状を送付することがあり、その作業量は一回当たり三〇〇〇通ないし四〇〇〇通に及ぶため、事務局職員全員でこれに掛かることになっていたが、原告は、従前から右作業を嫌い、そのときに会員会社に出かけては右作業に従事しないということが多く、その非協力振りは職員一同の顰蹙をかっていたが、原告は、譴責処分後も右同様の非協力的態度を取り続けていた。

7  右のとおり、原告のふしだらな勤務態度は、前記譴責処分後も一向にあらたまることがなかった。

被告は、これ以上原告が在職していることは、小人数の職場である被告事務局の他の職員に与える悪影響が大きすぎ、また、外部に対する信用も失なわれ、ひいては会員の定着を阻害するなど被告の存続にかかわるとの認識で、昭和五七年七月二〇日、三善会長、森本専務理事、田中事務局長が協議して原告解雇の方針を決定した。解雇理由は組織の紊乱中傷、経理の不正、疑惑行為、全職員の信用喪失、対外的な信用喪失、業務に対する非協力である。

解雇に先立って、森本専務理事は、七月二一日原告に退職を勧告し、それに至る理由、経過を一つ一つ述べたが、原告は辞める理由はない、と繰り返すのみで、退職勧告を拒否し、物別れに終わった。その後も森本専務理事のみならず田中事務局長、三善会長においても退職勧告は数回試みられたが、原告は、一貫して応じないという態度であった。

原告は右退職勧告後、口をきかない、電話がなっても受話器を取らない、新聞を広げて仕事をしない、無断で外出するといった態度が一層ひどくなった。森本専務理事は、昭和五七年九月二一日、原告に対し最終的な退職勧告を行ったが、原告は、取り合わなかった。そこで、被告は、前記二のとおり、同年一〇月七日、原告を懲戒解雇に付した。

(証拠略)及び原告本人尋問の結果(第一回及び第二回)中右認定に反する部分は前掲各証拠に対比して採用することができず、他に右認定を左右するに足りる証拠はない。

四  以上の認定によれば、原告には、被告の就業規則第五一条二(会の業務を進んで阻害するような意図のあることが事実によって明らかになったとき)、四(正当な理由がなく、しばしば遅刻、早退または私用外出をしたとき)、六(著しく自分の職責を怠り、確実に勤務しないとき)、七(職務上の指示に従わないとき)、一一(会の秩序をみだすおそれのある流言ひ語を行ったとき)、一二(みだりに会の職制を中傷またはひぼうし、あるいは職制に対し反抗したとき)、一三(懲戒に処せられたにもかかわらず始末書を提出しないなど、懲戒に従う意志が全く認められないとき)の各号に該当する事由が存するものと認められる。

五  原告は、本件解雇処分は、適切な進言をする原告を排除するため専務理事の森本により恣意的になされたものであって、解雇権の濫用であると主張するが、被告は、企業を会員として総務、人事、労務に関する活動を行う社団法人であり、その事務局が五名程度の小人数で組織されているものであり、原告は、上司である専務理事、事務局長よりも先輩であって事務局次長という地位にあったところ、非協力的な、ふしだらな勤務状況等により他の職員の信用を失っていたこと、原告は過去にも譴責処分を受けていながらこれによって反省するというよりも被告に対する反感を募らせ、被告の秩序に対する挑戦を明らかにしていたなどの前記認定の諸事情を総合すれば、被告が原告を懲戒解雇に付したことは、客観的合理性を欠くものではなく、社会通念上相当として是認することができないものではない。したがって、原告の右主張は失当である。

六  よって、原告の本訴請求は理由がないから、これを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 長谷川誠)

別表(略)

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